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みっどさまーず・ないつ

When I opened the door called truth, my childhood ended.

それでも、日本人は「戦争」を選んだー読書メモ①ー

とりあえず読んだので読書メモを。長くなる予定なので少しづつ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

 

 

1.日清戦争について。

 

"日本人と中国人にとって、戦争や戦いは、give and takeの1つの形態にすぎないのだった。日本と中国にとって、二国間の均衡をどちらがリードするか、それをめぐる長い競争は、文化的にも社会的にも経済的にも。また「知の領域」においても争われたのだった"

 

 という引用から始まる。韓国をめぐる日中間の対立の前提には安全保障政策としての華夷秩序があったとする。実際に中国は同じく朝貢関係にあったベトナムを巡って清仏戦争に打って出ることになる。一方日本でも福沢諭吉の「脱亜論」に代表されるように欧州の列強に並ぼうとする動きが始まる。

 

 また、日本国内の反政府派(ここでは自由民権論者)はまず人権の目に不平等条約の改正、つまり国家の独立が先という考えだった。そのために日清戦争に強く反対しなかったと。さらに議会がすでに開いていた戦争直前には、日清戦争に関わる戦費の調達を、政府の主要財源であった地租の増税ではなく、政費削減によって成功させたということもあり、戦争に対して抵抗を示さなかった。

 

2.日露戦争について。

 

 日清戦争の直後、いわゆる三国干渉によって失った遼東半島をロシアが租借したことによって、ロシアとの緊張関係が避けられないものになっていく。また、もし朝鮮半島がロシアの領土になれば日本海を挟んで対峙せざるを得なくなり、どうしてもそれだけは避けたかったという戦略的な問題もあった。

 

 そして、この本で一番興味深いものだったのは、山県有朋元老は戦争に慎重で外交交渉での成功にかけていたが、逆にロシア側が戦争に積極的だった。というのもロシアは宮廷内での権力争いから、日本通ではない人間が交渉を行い軍港である旅順を守るのには朝鮮半島を手に入れた方が楽だという考えを持っていた。

 

 そして日本が日露戦争で大義名分としたのは、大豆の世界的な生産地であった満州における門戸開放だった。このため戦場では中国も日本側により協力を示すようになり、またこれによりアメリカから多額の援助を受けることができるようになった。